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こんにちは。クロエです。
ツインレイと出逢い、いつしかサイレント期間が始まると、二人は分離の体験を通して様々な学びを得ることになりますが、
離れた生活を続けながらも、「どうやったら相手を幸せにできるのだろう?」と、悩む時もあるでしょう。
今回は、「相手を幸せにするにはどうしたら良いのか?」という疑問について考えていこうと思います。
ツインレイならではの関係性と距離感、社会的事情や障害など、「愛しているのに幸せにたどり着けない」という想いがある方は、良ければ参考にしてみてください。
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対の関係性とは
ツインレイは魂の双子と言われますが、もっと単純に言うと、『対』の関係性です。
対の関係と言うとイメージしづらくても、『セット』と言うと理解しやすいでしょうか。
紅白まんじゅうは赤と白の二個あるもの、というように、二つセットになっているのが、ツインレイのイメージです。
『スーツは、ジャケットとボトムでセットになっている』というイメージはちょっと違います。
『ティーカップは、カップとソーサーで一つだ』というのもちょっと違います。
青い花柄のカップと、それと同じ形の赤い花柄のカップが二脚セットになっている、というのがツインレイのイメージです。
つまり、異なった役割分担を二人で補いあって一つのものを形作っているのではなく、
一つでも完成しているけれど、実はそれがセットになっていて、揃うと美しさが倍増するといったイメージでしょうか。
ツインレイの二人が目指す幸せは、二つがセットになっていると気がつくこと、自分たちがどのような形態のセットなのかを知ることです。
それだけで、全ての道が明らかになります。
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ツインレイはセットの2人
私たちが今暮らしている世界は、たくさんの『セット』になっているものが、いつの間にかばらばらになってしまったような状態です。
例えていうなら、「この刀は対のデザインのものが存在するはずなのに、大昔の戦で片方が行方不明になってしまった」というような感じです。
対のものは、誰が見ても、明らかに「セット」だとわかるものですよね。
ばらばらに見ると、「何となくあれに似ているような気がする?」としか思えなかったとしても、
並べてみると、二つはセットになっているものだと明らかにわかり、「一緒にしておくべきだ」という感覚が沸いてくるものです。
そして、対であることに気がついた時には、なぜかとてつもない感動を味わうことになりますよね。
ツインレイも、そのような「セット」の二人です。
自分たちだけでなく、二人が一緒にいるところを見た人なら誰でも、「この二人は一緒にいるべきだ」という感覚になるはずです。
でも、あまりに余計なものがくっつきすぎて、模様が見えなくなっていたり、形が変わっていたり、本来の状態からかけ離れていると、浄化しなければ『セット感』は沸きません。
自分たちでも、セットとしての印が見えなくなっていれば、本当にセットなのかどうか、自信がなくなってしまいます。
例えば、それぞれ青い模様と赤い模様で二脚一セットになっているティーカップであれば、
持ち手が折れていたり、違う粘土で上から別の形をくっつけられていたりしたら、原形がわかりませんよね。
カップとしての役割を果たさず、花瓶のフリをしていたり、
ソーサーを箱の蓋として、本来の在り方とは全然違う使い方をしていたとしたら、もうカップであったことすらわからなくなってしまいます。
現在の私たちの世界では、このようなことが実際に起こっているとイメージしてください。
本来、美しいティーカップであるはずのものが、ソーサーとカップを別々にされて、全く誤った使われ方をしていたら、本来の状態に戻したいと思いますよね。
これが、ツインレイ以外の人と結婚していたり、本来の性質を活かした仕事をしていない状況、ということです。
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サイレント期間
相手のこのような状況に気がついた時、当然、「何とかしてあげたい」と思いますよね。
でも、このような状態になっているのは相手だけではありません。
同じ世界を生き抜いて来たのですから、必ず、自分も同じように、本来の在り方とは違う状況になっています。
そもそも、自分が美しいティーカップであったと本当に憶い出してますか?と問いかけが起こります。
それがサイレント期間です。
上にくっついている泥を落とし、欠けてしまった部分を修復し、色あせた模様をもとの色鮮やかな色調に戻して、ティーカップとしての役割を果たせるようになること、
それが、自分と相手がセットであると証明する唯一の手立てとなります。
ところが、3次元の価値観から世界を見ると、自分がこのような状況になっているのは何かのせい、彼が本来の在り方に戻れないのはこの障害のせい、と、
外の物事に原因を求めてしまいます。
カップのソーサーが、なぜか違う箱の蓋として使われているのはその箱のせいだ、
カップの形がおかしくなっているのは、違う粘土をくっつけた人のせいだ、と、何かのせいだと考えてしまうのですね。
けれども、本当の幸せを求めるのなら、もうこの在り方を終わりにしなければなりません。
本来はソーサーなのに、箱の蓋になっていたのなら、その箱には本当の蓋がどこかに存在しているはずだと気がついて、自分からその役割を終えて行かなければなりませんし、
カップの上にくっついている粘土をつけた人が誰なのか、探し出して取ってもらうよりも、自分がそれを取る方が賢明です。
現状がどうであれ、これまでがどうであれ、自分から変化を起こさなければ、絶対に本来の在り方に辿り着くことはないのです。
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相手に幸せになってもらいたいなら
相手に幸せになってもらいたいと思うのであれば、まずは自分が本来の在り方に近づくために、一歩を踏み出すしかありません。
そうすれば、相手も必ず、一歩を踏み出すことができます。
自分が、本当はカップなのに花瓶のフリをしていたのであれば、花瓶のフリをするのをやめたあなたを見て、相手も自分がカップであったことに気がつきます。
自分が鮮やかな花模様を取り戻すことで、相手も色違いの花模様だったことが憶い出されてきます。
ツインレイとはそのように、鏡のような、対の関係になっています。
相手を幸せにするためには、自分が変化を起こすしかないのです。
相手に直接何かをしてあげたくても、ツインレイはそれが叶いません。
相手に自分の考えを押し付けようとしている時、相手も同じことを考えていて、
どちらかがどちらかのコントロール下に入らなければならなくなります。
そのため、大きな反発が起こります。
悪意がなくても、「彼も私と同じ答えに辿り着くことができれば、これを教えてあげられたら、そしたら幸せになれるのに」と考えると、そこにコントロールの波動が生まれます。
コントロールはネガティブな波動なので、ツインレイ同士でその波動を使うと、分離が大きくなるだけです。
通常の恋愛や結婚であれば、コントロールを使うのが普通でした。
ツインレイ以外の相手であれば、多かれ少なかれ、二人の間に主従関係が生まれ、どちらかがどちらかの言い分に従う、といったやり取りが出て来ますよね。
その中で、上手くやるにはどうすれば良いのか、二人で駆け引きをしたり、押したり引いたりしながら関係を作り上げて行くのが、通常の恋愛や結婚でしたが、
ツインレイは、これができません。
できるのは、本来の彼がどんな姿なのか、それを自分が身を持って体現することだけです。
自分が、本来の美しい在り方を取り戻すことでしか、二人が幸せになる道は開かれません。
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彼にとっての願い
あなたが彼に「本来の彼として輝いてほしい」と願うのと同じように、あなたが本来の美しさを取り戻すことが、彼にとっての願いであり、幸せです。
その時に、「彼がそばにいてくれれば済む話なのに、彼が会ってくれれば私だって輝けるのに」と思うかもしれませんが、
その依存を卒業し、自分軸を確立して一人でも輝けるようになることが、幸せに繋がります。
二脚一セットのティーカップは、一つでも充分美しいし、役割を果たすのは一つずつですよね。
それと同じで、ツインレイも、一人で役割を果たせるようにならなければ、セットになることはないのです。
ここでは、ティーカップという『物』に例えて解説しましたが、ティーカップとしての自分を、現実に置き換えて考えてみてください。
粘土がくっついているとしたら、それはあなたにとってどんなものでしょうか。
ソーサーが別のものとして使われている状況は、何に当たるでしょうか。
欠けている箇所、ひびが入っている個所、模様が汚れて見えなくなっている個所があったとしたら、それは心的にどんなブロックと言えるでしょうか。
カップなのに花瓶のフリをしている状況は、どんな姿を現しているのでしょうか。
花瓶ではないと知りつつ、花瓶のフリをし続ける自分になっていませんか。
本来の在り方に戻ることは、何も恐ろしいことではなく、ワクワクするような、素晴しいことでしかありません。
けれども私たちは、そこに変化が生じるのを、怖がる癖がついています。
必要なのは、傷に向き合う勇気と、癒すための行動力です。
私も勇気を出して前進するから、あなたも進んで、あっちの世界で会いましょうね、と、常に信頼の波動を送りましょう。
自分を幸せにすることが、ツインレイの相手を幸せに導くことになると、本当の意味で理解できた時、私たちの心にも、本当の光が蘇ってくるのかもしれませんね…。
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